誰かに親切にしたあと、少し気分がよくなった経験はないでしょうか。
道に迷った人に道を教えた。重い荷物を持つ人を手伝った。困っている人の話を聞いた。 あるいは、自分には何の得もないのに、誰かのために時間を使った。
得をしたのは相手です。
ところが、助けた自分にも「やってよかった」という小さな幸福感が残ります。
考えてみれば不思議な現象です。
食べ物を手に入れればうれしい。お金を得ればうれしい。危険を避けられれば安心する。 こうした感情なら、自分の生存や利益につながるので分かりやすい。
しかし、なぜ他人が喜ぶことまで、自分の喜びになるのでしょうか。
この不思議な仕組みを追っていくと、人間がなぜこれほど大きな社会を作ることができたのか、 その理由の一端が見えてきます。
人間は「協力する動物」として生き延びてきた
人間は、一匹の動物として見ればそれほど強くありません。
鋭い牙も爪もない。走る速さでも多くの動物に負ける。 しかも人間の子どもは、非常に長い期間、大人の保護なしには生きていけません。
そんな人類が生き延び、世界中へ広がった大きな理由の一つが、 他者と協力する能力でした。
共同で獲物を捕る。食料を分ける。危険を知らせる。子どもを育てる。 道具の作り方を教える。
もちろん、人間が昔から善良だったという話ではありません。 人間には競争する性質も、自分の利益を守ろうとする性質もあります。
それでも人類の歴史を考えれば、 他人と協力する能力なしに人間社会が成立しなかったことは確かでしょう。
心理学では、他者や社会に利益をもたらす行動を広く 向社会的行動と呼びます。
その中には、協力、援助、分配、寄付などさまざまな行動があります。
そして人間には、それらを可能にする興味深い心と脳の仕組みがあります。
他人の出来事なのに、自分の心が動く
目の前で誰かが転びそうになれば、こちらまで「危ない」と身をすくめる。
映画の登場人物が指を切れば、自分の指ではないのに顔をしかめる。
反対に、長い苦労の末に成功した人が泣いて喜んでいるのを見ると、 知らない人なのにこちらまでうれしくなることがあります。
私たちの脳は、他人を単なる「外部の物体」として見ているわけではありません。
相手の表情、声、動作、置かれている状況などから、 その人に何が起きているのかを理解しようとします。
ミラーニューロン
この働きとの関連で有名になったのが、ミラーニューロンです。
もともとはサルの研究から、自分がある行動をしたときだけでなく、 他者が同様の行動をするのを見たときにも活動する神経細胞が発見されました。
その後、人間にも似た性質を持つ神経系があると考えられるようになり、 他者の行動理解や模倣、さらには共感との関係まで研究されるようになりました。
ただし、「ミラーニューロンがあるから人間は共感する」とまで言ってしまうのは 単純化しすぎです。
共感には、相手の表情を読み取ること、過去の経験と照らし合わせること、 相手の立場を想像することなど、多くの脳機能が関係しています。
ミラーニューロン系は、その複雑な仕組みの一員と考える方がよいでしょう。
大切なのは、人間の脳には、他人に起きていることを 自分と無関係な出来事として処理するだけではない仕組みがある、ということです。
共感することと、助けることは同じではない
ただし、相手の苦しみが分かったからといって、必ず助けるわけではありません。
困っている人を見つけ、「困っているな」と理解し、かわいそうだと感じても、 急いでいれば通り過ぎるかもしれません。
自分にはどうにもできないと思うかもしれないし、 「誰かほかの人が助けるだろう」と考えることもあります。
人間の利他的な行動を「共感」という一言だけでは説明できません。
感情だけでなく、判断する力も必要なのです。
人を助けると、自分の「報酬系」も反応する
さらに興味深いことが分かっています。
人が他者のためにお金を使ったり、寄付したりするとき、 脳では腹側線条体や 腹内側前頭前野(vmPFC)など、 報酬や価値判断に関係する領域の活動が観察されています。
こうした領域は、自分がお金や食べ物などの報酬を得たときにも関係します。
つまり脳は、「自分が得をした」という出来事だけを 価値あるものとして扱っているわけではないのです。
「自分の行動によって他人がよい状態になった」という出来事にも、 価値を感じることがあります。
もちろん、親切をすれば単純に「幸福物質」が出るという話ではありません。
人を助けたときには、自分が役に立ったという感覚、 誰かとつながっているという感覚、自分の行動に意味があったという感覚、 そして相手が喜んでいることそのものへの喜びなどが重なります。
それが「やってよかった」という感情につながるのでしょう。
では、それは本当に「利他」なのか
ここで少しややこしい問題が出てきます。
他人を助けると自分も幸福になるのなら、 結局、自分が気持ちよくなるために助けているだけではないのか。
これは昔から議論されてきた問題です。
心理学では、他者に利益をもたらす行動を広く「向社会的行動」と呼び、 その中でも自己利益を目的とせず他者の利益を目指す行動について 「利他的」という言葉を使うことがあります。
しかし現実の人間の心は、そんなにきれいに分けられるでしょうか。
困っている人を助けたい。助けたら相手が喜んだ。 自分もうれしくなった。感謝されたら、さらにうれしかった。
そこには「相手のため」と「自分のため」が混ざっています。
しかし、それを理由に利他的行動を偽物と考える必要はありません。
むしろ、ここに人間の社会性の重要な特徴があります。
利他と利己は、本当に反対なのだろうか
「利他」と「利己」という言葉を並べると、 私たちは反対のものだと考えがちです。
自分を大切にするか。他人を大切にするか。 どちらかを選ばなければならないように見えます。
しかし、人間の心は必ずしもそのようにはできていません。
他人を助けることによって、自分にも幸福が生まれる。
この仕組みがあるなら、「他人のため」と「自分のため」は必ずしも対立しません。
むしろ両者が結びついているからこそ、協力は続けやすくなります。
もし他者を助けることが、いつでも苦痛と損失しか生まない行為だったとしたら、 継続的な協力社会を作ることは、今よりはるかに難しかったでしょう。
誰かを助け、相手の状態がよくなり、それを見た自分にも肯定的な感情が生まれる。 その経験が、また次の協力につながっていく。
これは「善人だから親切にする」という道徳だけの話ではありません。
人間という社会的な動物が、 他人とともに生きていくための心の仕組みとして考えることができます。
幸福は、自分一人の中だけにあるものではない
私たちは幸福というものを、自分の中だけに存在するものとして考えがちです。
自分がお金を得る。自分がおいしいものを食べる。 自分が成功する。自分が認められる。
もちろん、それらも幸福です。
しかし人間には、もう一つの幸福があります。
誰かが喜んだことによって、自分もうれしくなる幸福です。
そこでは、自分と他人の境界が少し曖昧になります。
他人の苦痛を完全に自分の苦痛として感じるわけではない。 他人の幸福がそのまま自分の幸福になるわけでもない。
それでも私たちの心は、他者の状態を自分の感情の一部として取り込みます。
だから人間は、家族を守り、友人を助け、 知らない人にさえ手を差し伸べることがあります。
そして、その行動によって自分自身も満たされることがある。
ここに、この話の答えがあります。
自分のために生きることと、他人のために生きること。 その二つは、本来まったく反対の方向を向いているわけではありません。
人間の幸福の一部は、最初から「他者との間」に存在しているのです。