
この図は少しわかりづらいかもしれません。まず前提として押さえていただきたいのは、次のことです。この日本列島で長く暮らしてきた日本人(日本民族)は、『日本人の感性』を共通して持っています。桜の散る様を見たとき美しいと感じ、ご来光を神々しいと感じるのが感性です。この感性の上に、日本人の核となる気質がのっています。そしてその気質は、孤高武士型気質なのです。すべての日本人の本質的な気質は、実は孤高武士型なのです。だからこそ、「サムライ」に共感できるのです。その気質の上に覆い被さっているのが性格ですが、大半の日本人は、これが集団農耕型性格なのです。
このイラストはその全体像を表現しています。左端の紫の人物は、孤高武士型気質と孤高武士型性格とを併せ持つ人物です。このような人物は日本人全体の数%でしょう。右端の緑の人物は、集団農耕型気質と集団農耕型性格を持つ人物です。こちらも日本人には数%もいないでしょう。ですが、やたらと増えている海外からの移民で、日本国籍をもつ人にはかなりいるのではないでしょうか。但しその気質はいずれでもない、出身民族の気質が核のはずです。
一万五千年以上にわたって続いた縄文時代までに、日本人の核となる孤高武士型気質・性格は形成されていたのです。その後、海外から大量の移民が何度も日本列島に来て、日本人に同化していきました。その過程で、孤高武士型性格から、集団農耕型性格へと変化していったのです。ですが、核となる孤高武士型気質まで駆逐することはできなかったのです。それはまさに日本人の感性を生み出した日本列島の風土・自然がそれを許さなかったのでしょう。
いずれにせよ、こうして少数の孤高武士型気質・性格を持つ人たちと、核に孤高武士型気質を持ちながら、日常の思考や行動様式が集団農耕型性格である大多数の日本人ができあがった訳です。

日本の歴史をみてみると、国や社会が困難な時期には孤高武士型人間が世の中を導き、安定した時期になると、皆で一つの事に物事を進めていく集団農耕型人間が世の中を動かしていくのです。この繰り返しが、いま壊滅的状況で止まっているのです。